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若狭武田家の勃興 第4章 その2

若狭武田家の勃興

1)序章

2)系図

3)系図は何故作り変えられたか

4)武田信賢の述懐

  1. その1
  2. その2
  3. その3
  4. その4

5)武田国信の述懐

6)武田信廣の述懐

7)武田元信の述懐

8)武田元光の述懐

9)武田信豊の述懐

10)武田義純の述懐

11)武田信方の述懐

12)武田元明と龍子

13)武田信治の述懐

14)武田信重の述懐

15)求道の書家武田不識

文責 羽田孝文

 

若狭武田家の勃興     武田信賢の述懐

わざと嬲るように罵りの言葉を返すと、兄者は激高し声を荒げた。
  「血迷うとな。 血迷うとは何ぞ」

  「さよう、大樹公の求められるは一色義貫公の御首級でござろう。三百の武田軍兵がすべて斬り死にしよとも、お咎めこそあっても恩賞はなし。安藝半国もお取り上げになろう。それを承知の存念であられるのか」
兄は孝心厚き方じゃ。信栄殿は言葉を失って下を向いた。

  「首を取らねば所領は没収になろう。他に手立てがあれば、そなたの考えを述べよ」
  「さらば、戦いは奇でござる」
  「と、申すと?」
  「偽計を用いて御首級を戴く」

わしは、その時三方忠次殿の衒(てら)いのない髭面の笑みを思い浮かべた。

  「偽計じゃと! それでは武士の義がたたぬわ」
わしも武士の義は山ほど立てたい。だが下克上の世で、義を貫くとは死ぬということ。

  「武士の義とやらが生きたのは、源平の昔の事。時代が違いまする。義を叶えるには、勝つしかありませぬぞ。義貫公より若狭一国を頂戴いたし、武田家再興を果たすことこそが義でござる」

信栄公は下を向いたまま考えておられる。ややあって力のない声で、
  「如何したらよいのかのう」
  「連歌を催しなされ」
意味が分った兄者は、はっと顔を上げ、穴の開(あ)くほど わしの顔を見つめた。

  「すべてお任せ下され。信賢、お家のために命かけて働きまする」

  わしは細川成之殿と密かに手筈を整え、心利(き)いた腕の立つ郎党を五十人選んで、その日に備えた。

  五月になり、南朝の遺臣 越智維道は追い詰められて腹を斬り、大和の陣は終った。

  わしは一色氏の陣所に三方忠治殿を訪ね、戦勝の祝いを兼ね 延び延びになっていた連歌を催したし とお誘い申した。

  「いろいろと趣向を用意してござるによって、ぜひ修理太夫様にもお出でいただきとう存じまする。日取りはご都合に合わせまするによって」

忠治殿も風雅の友の信栄殿と会える日を楽しみにしておられた。

  「殿もお喜びになるであろう。なにせ暇を持て余しておられるでな」

長い戦が終わり、若狭に帰れる髭面の機嫌は良かった。

帰陣の準備もあれば、早い方が良かろうとの義貫殿の御諚で、翌々日の五月十五日の昼と決まった。

  「なにせ殿は気の早いお方でのう。武田殿には諸事ご迷惑をおかけいたすが、よしなにお願い申す」

  ありがたき仕合わせ、武田家末代までの誉れとなりまする。信栄はじめ家臣一同、誠心誠意勤めさせていただきます」

陣中には、一色修理太夫様御成りと触れを出し、屋敷を清め、酒肴を整え、猿楽師をあわただしく手配した。

  その日は、朝から梅雨の合間の良く晴れた好日であった。

  一色義貫殿はご機嫌麗しく、三方殿のほか十人の風雅の道を心得た家臣を引き連れ、騎馬を連ねて武田陣屋に着かれた。

  「お庭の結構、見事でござる。陣中とはいえ、信栄殿のお心ばえ感服つかまつった」
苔むした石灯籠が立ち、呉竹の茂みがそよぎ、陣中の庭には見えぬ。 一色家の家臣等はくつろいで、世辞を使った。

信栄殿や家臣らが鄭重にお迎え致し、ご一同は廊下を渡り部屋に入られた。

義貫殿を上座に招じ、席に着かれようとした時、
  「待たれよ」
三方忠治殿が言われた。
  「金臭いな。刀の臭いがいたす。」
と、信栄殿の顔を凝視していたが、その髭面が朱に染まった。

  「たばかりおったな、信栄」
刀を引き抜き、信栄殿に切りかかると同時に、襖が開き「上意っ」と叫んで 抜刀、襷鉢巻のわが手の者がおっとり囲み、庭先からも抜刀の家臣が走り込んだ。

  「狼藉っ」
義貫殿を守って戦う一色の家来を、一人ずつ押し囲み血祭りに上げて行った。
忠治殿は、肩口から斬り下げられ次の間に逃れる信栄殿を追ったが、五人の我が手の武者に行く手を阻まれた。

「大樹公直々の御命令で御座る。神妙にいたされよ」
わしは忠治殿に、静かに申し上げた。

  「連歌にことよせて おびき寄せる、うぬらの根性腐れが憎いわ」
  「忠治殿、連歌や猿楽などは、武士にとっては弓馬の道具立てに過ぎぬもの。義貫様を初めとして、ちと深入りが過ぎましたな」

  「うぬっ」
と切りかかるところを、背後から斬り下げれら、左右から深々と刺され、無念の形相で絶命した。

  主君を守ろうとする一色家臣たちと、わが手の者が切り結ぶなかで、義貫殿は部屋の上座に座ったままであられる。

  「もう、それでよい」
と、義貫殿は涼やかに言われると、家臣と攻め手の見守る中、腹を割っさばいて果てられた。 主君を守った家臣もそれぞれ割腹した。 ほかは全て討ち取った。

  わが勢が、直ちに一色陣屋を囲み、
  「一色殿はじめ 重臣方の御首級頂戴いたした」
と、呼ばわって雪崩込むと、刀を交わさず逃げる者多く、あるいは腹を切って果てた。

京堪解由小路の義貫殿が屋敷は、反目する同族の一色五郎によって焼尽させられた。

 細川成之殿は、手筈通り一色殿が武田陣屋に入った一刻後に、2千の将兵を指揮して大和三輪に陣する土岐持頼殿の陣屋に力攻めで攻め入った。

土岐殿は身の丈七尺の猛将で、兵も良く守り勝敗は夕刻に至ってもつかなんだが、双方ともにかなりの数が討ち死にした。

  これが最後と見定め、門を開けさせ躍り出た土岐殿は、大将首を狙って群がる敵兵を馬上から斬って斬りまくり、陣屋に戻って酒宴を開き、家臣に別れを告げると高櫓に登り、 「ようく見よ。これが真の武士の最期ぞ」
と、十文字に腹を斬り 固唾を呑んで見守る敵に、はらわたを投げ付けて死になされた。

家臣ことごとく自害した。

--- つづく ---

 

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